名前詩作家の皆さんへ
名前詩作家の皆さんへ
理事長 光山浩司
今回は私の名前詩に対しての思いをお伝えさせていただきます。
長文となりますがお目通しいただければ幸いです。
私も皆様と同じく、日々名前詩創作に打ち込む名前詩作家の一人です。
当然のことながら、私も一つひとつの作品に対して真摯に向き合っています。
一つひとつの作品に対して責任感を持っています。
名前詩は名前を使用するという縛りがあるので、それが実現しているだけで驚嘆し、感動する人も多くいます。
そのため、突き詰めて考えなくても感動させる作品が作れてしまうという現実があります。
しかしながら私は名前詩の世界に足を踏み入れた当時から
「名前が入っていることで感動させる詩」ではなく、
「心から感動できる詩に名前が入っている」を目指してきました。
名前詩をギフトにする場合、たとえ名前部分に気付かなくとも詩の内容だけでしっかりと感動をもたらすことが大切です。
詩に名前を使用することは感動を「増幅」させる手法であり、メインはあくまでも詩の内容なのです。
ここまでで「名前が入っていることで感動させる詩」と「心から感動できる詩に名前が入っている」のとでは、感動の性質や大きさが違うことをご理解いただけたでしょうか。
お陰様で私が運営する名前詩の店、ゆうひ堂の口コミでは「感動で涙が出た」という言葉をたくさんいただいております。
涙が出るほど感動できる映画、小説、物語なども実際にはそれほど多くないことを考えれば、お分かりいただけると思いますが、「涙が出るほどの感動」を生み出すポエム作りというのは、決して容易ではありません。
名前詩は映画や小説とは違い、感動していただく対象者は少数です。
最も少ない場合だと、ご依頼者様とご当人様の2人しかいません。
それでも私は、その2人に心から感動してもらうことを目指して、全力を尽くします。
100万人を感動させる映画を作るような思いで、たった一つの名前詩創作に取り組むのです。
予算をかければ良い映画が作れるということではないように、高額ならば良い名前詩をつくれるということではありません。
ただ、100万人を感動させる映画作りのような作詩は低コストでは困難です。
それは感動の創造にはやはり時間が必要となり、時間とコストは比例するからです。
最近では安価な「名前の詩」も増えてきました。
もちろん商品として価格を抑えることは重要であり、ゆうひ堂でも価格を抑えるためにあらゆる施策を講じております。
しかしながら作品自体の品質やモラルを低下させてまで価格を抑えることは行なっておりません。
それは名前詩の普及には品質の維持が必要不可欠と考えるためです。
名前詩は文化であり芸術です。
そして私たち名前詩作家は芸術家であります。
芸術家も才能に相当した対価を得るのが当然であり、私たちの活躍が未来の名前詩作家の誕生に繋がるのです。
私は日本名前詩協会に在籍する名前詩作家の実力は本物であると信じております。
作家としての自信と誇りを胸に、実力に相当する対価を得られる社会を構築していきましょう。
そして、令和の子どもたちの夢に「名前詩作家」が加わるような未来を創造してゆければ、心より嬉しく思います。